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キベベワールド

「メガネの一心堂」の店長が、タメになること・ならないことをつづります

1.17

1995年当時、私は神戸市須磨区のダイエーに勤務していたので、須磨区内にてひとり暮らしをしていました。
運命の1月17日、この日の私の勤務シフトは休み、そして18・19日は店が連休で従業員旅行が予定されていました。
私にとっては3連休となるわけで、16日の夜はリラックスして眠りにつきました。

どれくらい眠っていたのか、「ドンドンドン」とも「ダンダンダン」ともつかない音と同時に、豪快な立てノリのビートに襲われたのです。
びっくりして起き上がると、横揺れが始まり、ぎっしり本が詰まった大きな本棚が床の上を大きく左右に滑っていました。

その時、頭の中には「富士山が爆発した」「このマンションが倒れるかもしれない」なんていったことが浮かんでいました。
幸い、マンションは倒れることなく揺れは収まりましたが、暗闇の中でもテレビ・ラジカセ・電子レンジその他、ありとあらゆるものが落っこちたことはわかりました。
アルコールのにおいがプンプンしたので、来客用に用意していたお酒の瓶が割れたことも想像できました。
とにかく、足の踏み場がないので、外へ出ることにしてドアを開けると、ちょうど上の階の人が降りてきて、私に向かって一言
「何だったんですかね、今の?」

「そんなん、地震に決まっとりまんがな」
そう突っ込みたくなるくらい、神戸の人は地震には疎かったようです。
何しろ、マンション契約の際、地震保険の加入意思を伝えると「神戸は地震がないですから必要ありませんよ」と、取り合ってもらえなかったくらいですから。

ある程度、外が明るくなってきてから部屋に戻り、今のうちに、と両親へ無事であることを電話しましたが、まだ寝ていたようで、状況をよくわかっていないみたいでした。
さぁ、これからどうやって片づけようかと途方に暮れつつ、薄明かりの中で、とりあえず落っこちていた大きなものをどかして足の踏み場をつくると、カメラが出てきたので写真撮影。
トイレのタンクの蓋が落っこちていることから、縦揺れが生じていたことがうかがえます。

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正直なところ、この時点では、「こりゃあ、いい話のネタができたわ」といった程度の認識でした。

8時過ぎでしたかね、奇跡的に電気が復旧しました。
テレビを付けたら、阪神高速が横倒しになっています。
「えらいことになっとる」
私の認識は、180度変わりました。

自分の店に電話すると「とりあえず大丈夫。営業できるよう準備をしているが人が足りない」とのことだったので、とにかく店へ行くことにしました。
でも、駅まで行って気が付きました。
電車は止まっちゃってるし、タクシーも走ってないんですよね。

結局その日は、自宅近所のダイエーで復旧のお手伝いをし、翌日から上司に車で迎えに来てもらって出勤しました。

被災後数日は、一階の食品と洗剤・シャンプーといった生活用品売り場のみの営業でしたが、終日入場制限をするほどお客様が来店され、食品はものの見事に売り切れました。
交通渋滞で補充すべき商品が入荷しないのです。

どうしようもないので、ひとまず閉店ということになったものの、わざわざこられたお客様は納得されません。
「何もないわけないやろ」と強引に店内に入ろうとするかたもいらっしゃいましたが、売り場には棚しかないんですから。

事実、私自身が、自分の店で食べ物を売っているのに買えない、水を売っているのに買えない、という状況でした。
年末年始で休みが少なかったこともあり、自宅に備蓄していた食料や飲料水は使ってしまってほとんどありません。
幸い、カセットコンロのボンベと切り餅は残りがあったので、それでしのぎましたが、ミネラルウォーターがあまり残っていませんでした。
ペットボトルの残りと、ロックアイスを溶かしたものを合わせても2リットルなかったでしょう。
これではトイレはもちろん、火事になっても初期消火すらできないし、餅を喉に詰まらせたらアウトだ、という恐怖感がありましたね。

4日後くらいから、店も幾らか落ち着いてきて、水が買えるようになってきたため、ちょっと安心したのを覚えています。

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水道の復旧は1週間後だったものの、ガスの復旧は40日後でした。
その間、水で頭を洗っていたのですが、冷たくて頭皮が痛くなり、めちゃくちゃ辛かったです。

コンロでお湯を沸かして体を拭くくらいしかできない状況でしたので、1ヵ月近く経ったころ、電車に乗って姫路のちょっと手前の加古川にある健康ランドへ入浴に行きました。
当時、山陽電鉄が復旧していなかったため、JRの鷹取という駅まで自宅から歩いていかなければならず、被害の大きかった地域を通り過ぎましたが、とてもとても悲しい光景でした。
カメラは携帯していたものの、シャッターを押す気になんてなれず、歩きながら涙が出てきました。

私のマンション近辺は、場所的には震度7のエリアに入っていましたが、実際は震度6強くらいだったのかもしれません。
数百メートル違うだけで、被害にかなりの差がありました。

私は、住むところも働くところも、身内・友人・知人も失いませんでしたし、一人暮らしですから自分のことだけを考えていればよかったので、本当に運が良かったと思っています。


あの地震は、ダイエーにとって大きなターニングポイントでした。
そして、私にとっても。

地震から10ヵ月後、建物に損傷があり営業停止となっていた大型店舗が、業態を変えてリニューアルオープンをしたのですが、そのオープニングスタッフとして私は呼ばれました。
その16ヵ月後、私は実家に戻る、つまり眼鏡業界で働くための第一歩を踏み出すことになったのです。

誤解されると困るので申し添えておくと、決して解雇されたわけではなく、不祥事をやらかしたとか、いじめに遭ったとかでやめざるを得なかったとかいうわけでもなく、自分のこれからの人生を考えた上での判断でございます。

もし、地震がなかったら。。。
今もまだダイエーにいたかもしれません。
仮に退職したとしても、それはもっと後になってからのはずですし、眼鏡業界には入っていなかったかもしれません。
もし、眼鏡業界に入っていたとしても、留学のチャンスはなかったでしょう。

「運命」について、考えさせられます。
  1. 2010/01/17(日) 23:15:13|
  2. 記念日・○○の日
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